「古希」は数えで70歳だった

投稿者:jaspanet 投稿日時:水, 2016-06-01 16:21

 5月下旬に69歳の誕生日を迎えたところで、JASPA関係者の方が「古希」の祝いの言葉を伝えて来た。「70歳は来年ですよ」と答えたら、「古希」は数えで70歳ですよと返された。ただちに調べると、確かに、「数えで70歳」と明記してある。但し書きで「最近では満年齢で祝うことも多い」とあるので、本来の意味を忘れてしまった方が常識になってしまっているのだろう。
 ただ、「古来希(まれ)」だった70歳が、最近では当たり前になってしまった。筆者の中学、高校の同級生たちもほとんどが健在である。60代前半で会社を退職して一度は社会から退いたはずの級友たちも、趣味の世界だけでは力が余って、また、いくつか掛け持ちで仕事をし始めている。それでまた、老化が進むスピードを鈍らせているようだ。
 確かに、20、30年ほど前には「還暦」を祝う先輩たちは老齢にふさわしい貫禄だった。しかし、最近では「還暦」の祝いの主人公たちは、元気いっぱいの働き盛りである。10年は年を引いて考えて、「古希」を迎える人がかつての「還暦」相当だ、と唱える人がいるが、その主張もうなずける。
 注意しなければいけないのは、そう思っているのは当人たちだけで、実は、昔も今も老齢化の進行はたいして変わらない、ということになっていないか、である。客観的に判断できる磨きのかかった鏡がほしいところだ。
 思い出すことがある。筆者が経済記者のころ、60代後半の経営トップがなかなか座を後進に譲らず、自分は十分に元気だ、と自画自賛する見苦しい姿に数多く出会った。当時のことだから60代後半は現在の70代後半相当だろうか。周囲は「老害」と指摘しているのだが、本人はそういう指摘も理解できないほど頭脳が老化してしまっていた。
 そして、必ず口ずさむのは、サムエル・ウルマンの「青春」と題する詩だった。
「青春とは人生のある時期をいうのではなく、心の持ち方をいうのだ。すぐれた創造力、たくましい意志、燃える情熱、臆病を退ける勇猛心、安易を捨てる冒険心,こういう心の持ち方を青春という。年を重ねただけで人は老いない(云々)」
多くの人に感動を与える素晴らしい詩だ。確かにこの通りの人もいるだろう。しかし、これを自分に投影して勝手に勇気づけられ、明らかに老害化した経営トップまでが、この詩を盾にとって後進に道を譲らないのには辟易した。結局、経営陣の内紛にまで発展したケースも見てきた。
来年だと思っていた「古希」が実は今年だった、と気が付いたのは良い機会だ。JASPAも老齢化したチームが後方の控えに回り、新しいメンバーが前面に出て活性化に拍車をかける時期に入っているのだろう。